あらすじ・ストーリー
ホワイト(ハーヴェイ・カイテル)、オレンジ(ティム・ロス)、ブロンド(マイケル・マドセン)、ピンク(スティーヴ・ブシェミ)、ブルー(エディ・バンカー)、ブラウン( クエンティン・タランティーノ)の6人がダイヤの強盗を実行。
しかし、この計画が事前に警察にバレていたことがわかる。誰が裏切り者なのか。
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結論から言うと、やっぱりクェンティン・タランティーノの映画はいろいろと理解がむつかしい。無駄話が多く、どこにこの映画の意味があったのかがまったくわからなかった。
無駄話が多いのは、おそらく話すことがないからで、素性をお互いに明かさないこと、としているチームゆえの暇つぶしであり、お互いを知る唯一の手段だったから、というのは理解できるけども、それになんの意味があるのかはまったくわからない。
だれが善でだれが悪とか、そんな話ではないし、これが男の生き様だと言われたら、たしかにそうかもしれないけど所詮悪人の話で、命張って成す仕事だからそれなりのリスクは大前提。だけど、力技でやってきた変人たちにいろいろを考える頭はそもそもないようにも思えるし…。どうみたらいいかがサッパリだったんだな〜。
どう映画をエンディングに向かわせるか、だけが気になったけども、ある強奪の失敗談を切り取った映画で、後にはなにも残らなかったという、ただそれだけの映画とも考えられた。と同時に、つまり役者たちの腕が試されるというのも事実。なんの変哲もない、ただの無駄話をストーリーとして成立させるのは、絶対的に役者の演技力にかかってくるはずだ。それはキャスティングを見ても明らか。このメンツが揃ったからには、どんなストーリーでも歯応えを感じさせるはず。(しかし、あたしの目は・・・ほんと恥ずかしい。)
マフィア系の映画ってさ、ほんとどこに着目したらいいか混乱するよね。重くわかりやすいテーマがあればそれを追うことができるけど、この映画みたいに薄い内容を膨らました系は着眼がむつかしすぎるよ!それなのに、『クェンティン・タランティーノの映画は特別だよね〜』と言わないと、映画通ではない的な風潮があるのもニクい。『クェンティン・タランティーノ映画が好き』と言っていたら、超映画通でかっこよくなれるんだもの。