2018.6.9
ドラえもん のび太とふしぎ風使い
ドラえもん映画シリーズ24作目。今回の主題歌は、ゆずの「またあえる日まで」。ゆずのふたりは声優にも挑戦。実は劇中、まったくわからなかった!ということは馴染んでいて上手だったのかな。
ドラえもん のび太とふしぎ風使いの映画情報
原題 | |||
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制作年 | 2003年 | 制作国 | 日本 |
上映時間 | 80分 | ジャンル | アニメ |
映倫 | - | ||
オフィシャルWeb | http://dora-movie.com/film_history/history_24.html |
監督 | 芝山努 |
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キャスト | 大山のぶ代 |
以下「ドラえもん のび太とふしぎ風使い」の感想・評価・レビューの内容は、ネタバレを含む場合があります。
「ドラえもん のび太とふしぎ風使い」をまだご覧になられていない方は、十分にご注意ください。
ドラえもん のび太とふしぎ風使いのあらすじ・ストーリー
ある台風が去った日、スネ夫は台風の子どもに出会った。乱暴するスネ夫から逃げた台風は、のび太に出会いフー子と名付けられ可愛がられた。
のび太は台風のフー子と思いきり遊ぶために、ドラえもんにお願いして、どこでもドアで広い草原にやってきた。
その広い土地は、風使いの一族が暮らす風の村だった。ずっと平和だったその村は、嵐族に襲われ、さらに嵐族は古代の怪物マフーガを復活させようと悪巧みをしていた…。
ドラえもん のび太とふしぎ風使いをみた記録
異例のストーリーと思っている。
重要と思われたのび太と同年代のテムジンは、ただの風の村の住人のひとりで、今回重きがおかれていたのはフー子とゆーこともあって、存在感は相当に薄かった。
ラストにのび太が活躍するためだけに用意された、引き立て役だったに過ぎず、のび太たちの冒険におけるゲストに対しての扱いがこれまででは考えられないような軽さだったのでおったまげた。
いまに知ったことではないけど、のび太は今回特にひどい性分が目立った。スネ夫もたしかにしつこいと言えばそうかもしれないけど、フー子をさいしょに見つけて興味を持ったのはまちがいなくスネ夫。乱暴は良くないことだけど、偶然見つけたのび太が僕のものと溺愛するのはスネ夫としてはおもしろくないのは納得できる。
大人の社会では、後から出てきた人間がさいしょの人間に多少なりとも気をつかうケースが多いはず。ジャイアンは、まだそんなこと言ってんのか!と怒ってたけど、ジャイアンは当事者だから分かっていないだけで、とても無責任だった。
が、そんなジャイアンがもっともスネ夫に対して友情を持っている男だった。
ジャイアンはスネ夫が消えてからずっとスネ夫を助けようと、それだけだった。のび太たちは人間の友だちスネ夫が悪いやつになってしまったからなのか、そもそもそんなに思い入れがないからなのか、超フィクションのペットのフー子のことばかり。ペットを愛でる気持ちはあたしも十分共感できるけど、この場合はとてもとてもおかしかった。
悲しかったのは、フー子が連れ去られ閉じ込められていたのを助け出したのび太が雪山付近を歩いているとき、ウランダーが乗り移ったスネ夫がフー子をまた連れ去ってしまった。あのときののび太の言動には驚いた。
「フー子ーーー!」と叫んでいた。友だちがべつの国の人間になってしまうかもしれない窮地、友だちが大犯罪を犯すかもしれない窮地、これまで苦楽を共にしてきた友だちともう同じように遊ぶことができなくなる窮地、大好きな友だちが死を意味するような存在のない状態になってしまうかもしれない窮地にも関わらず、出会って数日の、しかも”台風”のフー子の心配をするんだから。
これは悲しかったね。あたしはのび太が、親友のひとりスネ夫を助けなくてはいけないのに、フー子も助けたいと葛藤するストーリーにすべきだとおもってた。こんなにスネ夫を差し置いて、フー子に入れ込むのび太は本当にバカで薄情なやつだとおもった。
なんなら、フー子を怒るのび太も理解できない。ママに言われるいろんなことを無視して生きているのに、なんど言えばわかるんだ!もう知らない!勝手にしろ!と、じぶんのことは棚に上げて怒る。
腹立たしい〜。
ジャイアンがスネ夫を一心に助けようとしなければ、スネ夫は完全に忘れ去られることになっただろう。スネ夫、元に戻ってくれよと泣くジャイアンが、いちばん心に刺さった。
スネ夫がおかしくなっても助かっても、なんら関心のないのび太は驚くほど薄情だ。
おもしろかったところ。
・白いパンツをはくジャイアン。
・スネ夫とのび太の関係はそんなにいいものじゃないところ。
・白いパンツをはくジャイアンが「ギッタギタにしてやる」の直後に言った「暴力はもう飽きた」
・ジャイアン「スネ夫、靴をとってこい」スネ夫「はい」スムーズすぎる上下関係。
・フーコとの出会いを話すスネ夫の「僕が最初に見つけたんだからね!」をガン無視するドラえもん。
悪いやつと思われる大人の2人組が、子どもの女の子を追いかけ回しているのはおかしい。
同年代の子どもにいじめられるのは話がわかるけど、現実世界に置き換えても、30〜40歳の男性2人が小学低学年の女の子を追いかけ回してるシーンを想像したら、まじめに事件だし相当怖い。
いつもドラえもんのストーリーは、小学生とゆーのび太の年齢の問題があるから、どうしてもこうゆー訳わかんない設定やシーンがでてくる。
子どもは基本的に悪くないから、必然的に悪いやつは大人。のび太と親しくなることになる異世界の相手は同じくのび太と同年代の設定。ピュアなふつうの子どもが大人に悪さされたり、いじめられたり、追い回されるし、子どもが悪い大人に立ち向かっていくことになる。
のび太は毎度、とてつもない冒険を繰り広げているわけよね。
それがふつうだから、今さら感がすごいけども、やっぱり大人でしかもおじさんぽいひとが、子どもを追いかけて笑っていたり、高いところから落として、つまり殺そうとしているシーンて、すごいおかしいことだとおもうよね。ドラえもんが上昇気流マットで助けなかったら、いくら芝生の上と言えど、テムジンの妹スンは死んでいただろうな。
さいごに、我に返ったスネ夫がジャイアンに縄を切ってくれと頼まれたとき、頼むなら切ってくださいでしょ!とバカなことを言っていた。
ジャイアンは、言いにくそうに切ってくださいとスネ夫にお願いをした。
無事にこのシーンは終わり、スネ夫は助かったんだけども、スネ夫はもうジャイアンの手下から抜け出すことができないことを理解していない。
フー子を追って、のび太の部屋のどこでもドアを目の前にしたジャイアンに、「スネ夫、靴とってこい」と言われ「はい」と自然と応えたスネ夫は、体のなかからジャイアンの手下になっている。
これまでにない色をかんじるドラえもん、とてもたのしかった。キャラクターの活躍の比重もひどいし、のび太の薄情さには愛想が尽きたし、かなり不快な部分が多かったりするんだけど、そこがまたいい。
こんな映画ドラえもん、二度と作られないとおもうとなんとなく価値が高い気がする。
さらに、音楽もとてもよかった。
ここ数年の、映画の中で流れる音楽は反吐が出そうになるくらいチープで古いものだったけど、今回はそれがなかった。良いわけでなく、ここ最近のがひどかっただけね。音楽を担当したスタッフは変わっていないのよね、ふしぎね。